kokurastripesjapan.com - 一般社団法人小倉織 | Kokura Stripes Japan Association

Description: 300年超の歴史をもつ豊前小倉の特産品、小倉織。地厚で丈夫な木綿織物で、江戸期は武士の袴や帯に、明治以降は男子学生の制服として全国で活用されました。一時期、途絶えた小倉織を築城則子氏が復元。手織りや縞縞ブランドの機械織りも展開しています。

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小倉織は、地厚で丈夫、なめらかな木綿の織物です。経糸が通常の織物の3倍の密度、緯糸が見えない程で、表現としてはたて縞となります。凛として潔く、色の濃淡による立体的な世界を創りだし、なめし革のような風合いと共に他に類を見ない個性的な織物です。小倉織の第一人者である築城則子氏の作品は、より細い草木染の糸(経糸約60本/cm)を用いて創作され、伝統と革新が融合した作品は東京国立近代美術館やロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館に収蔵されています。

染織家 築城則子氏がデザイン監修を行い、小倉織の丈夫で美しいたて縞という特徴を活かした機械織りが2007年に誕生しました。140cmの広幅の布は伝統を継承しつつ、より現代的な汎用品として、ファッション、インテリアなど多分野への用途も広がっています。新しい時代の小倉織として、日本国内だけでなく、世界のクリエイター達とのコラボレーションも展開しています。

 豊前小倉(北九州市)の地で江戸時代(1600年代)から作り続けられてきた「小倉織」は、武士の袴や帯として織られました。小笠原藩士の婦女子が中心となって、綿を栽培し、糸を紡ぎ、織った布は特産品として全国で珍重されました。  徳川家康が鷹狩りの際の羽織として愛用したと記録に残っていますし、徳川美術館には江戸時代中期(18世紀)の狂言装束としての「縞小倉羽織」が収蔵されています。  明治時代には文明開化の波のなかで、袴の特徴を引き継ぎ、男子学生の夏の制服として、「霜降り」と呼ばれるグレー無地の小倉織を製造し、小倉木綿、小倉服の名で全国に広がりました。あまりに人気があって製造が追いつかず、各地で小倉織に似たものが製造されていきました。  300年以上続いた小倉織は、昭和初期に一度途絶えましたが、染織家 築城則子氏が試行錯誤をくり返し、1984年に復元、再生。先染め木綿糸による機械織りの小倉織の縞も新たに誕生した21世紀は、後継者も育って未来を明るくしています。